くすりの道修町資料館                〒541-0045
                                           大阪市中央区道修町2-1-8
                                              少彦名神社 社務所ビル 3階
                                                                                TEL (06)6231-6958 FAX(06)6231-6970

                                

 
 
道修町の歴史


 大阪の難読地名のひとつである道修町(どしょうまち)は、どうして“くすりの町”とよばれるようになったので
しょうか。

 道修町を含めた船場地域は、豊臣秀吉が大阪城の三の丸を築城する際、そこに住んでいた町人や寺院を
強制的に移し新しく城下町として開発されたとされています。

 道修町がくすりの町と言われる様になったきっかけは、寛永年間(1624〜1644)に堺の商人小西吉右衛門が
道修町1丁目に薬種屋を開いたこととされています。

やがて、1722(享保7年)、八代将軍徳川吉宗は道修町の薬種中買仲間 124軒を
株仲間として、中国から輸入された唐薬種や日本で採れる和薬種の適正検査をし、値段を付け全国に売り捌く特権を与えました。

 明治時代になると、株仲間は解散となり、営業の自由化と共に誰もが組合に加入して自由に商売が出来る
ようになりました。
 しかし、悪質な流通業者がいて粗悪品を売りつけたりしても罰する規定はありませんでした。

 そこで、道修町の薬業者達は、道修町ブランドに対する信用の為、団結して事業を展開していきました。
 積極的に洋薬を取り入れ、自前で品質検査を行う『 大阪薬品試験会社 』を設立し、官立の試験所に優るとも劣らない信用を獲得しました。
 また、有力薬業者達により製薬会社を立ち上げたり、洋薬に対応するため開設した『薬舗夜学校 』は、現在の大阪大学薬学部や大阪薬科大学に発展しました。
 そこには、少彦名神社の薬の神様に対する信仰をもとにつながり崇敬団体薬祖講 が結成されたことにも深い関係があります。

  現在の道修町は、本社機能が東京にシフトしている製薬企業や、合併して社名が変わったりして、
『道修町=くすりの町』とすぐにピンとくる人は昔よりは少なくなってしまったかもしれませんが、今でも薬祖講を中心に、神農祭やくすりの道修町資料館 を通じて地域と企業が町ぐるみ一体となった活動を続けています。


 

                  

 Copyright (C) 少彦名神社.All Rights Reserved.

.