メイン画像

開館情報

衛生状況、換気、資料館の広さ等を考慮した結果、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、現在は閉館しております。
悪しからずご了承ください。(資料保存会会員で同時入館10名以下の事前予約の方のみ受付いたします)
開館の際にはこちらの頁でお知らせ申し上げます。
画像
江戸時代の医学書
曲直瀬道三「道三師語録」・宇田川榕庵「舎密開宗」・宇田川榛齋「遠西醫方名物考」
画像
道修町ゆかりの人々(製薬企業編)
田邊五兵衛商店(現田辺三菱製薬)の十二代田邊五兵衛を紹介しています。
画像
昔懐かしい家庭薬
画像
昔の販促品も展示しています。
画像
昔の販促品も展示しています。
※季節によって展示物が変わりますのでご理解ください。

くすりの道修町資料館について

“神農さん”で親しまれている道修町の少彦名神社の地は、江戸時代、薬種中買仲間の寄合所(事務所)でした。
そのため、およそ300年前からの文書が保存され大塩平八郎の乱や、大阪の大空襲などの災禍からも免れ、現在まで伝えられてきました。
1997(平成9)年、「道修町に関する諸資料を町全体で保存し、公開しよう」と神社の社務所ビルの3階にくすりの道修町資料館が開館されました。

“ここへ来れば道修町がわかる”をコンセプトに、こじんまりした館内ですが、見応え十分の品々を展示しております。

少彦名神社にご参拝の際は、是非お立ち寄りください。

道修町の歴史

大阪の難読地名のひとつである道修町(どしょうまち)は、どうして“くすりの町”とよばれるようになったのでしょうか。
道修町を含めた船場地域は、豊臣秀吉が大阪城の三の丸を築城する際、そこに住んでいた町人や寺院を強制的に移し新しく城下町として開発されたとされています。
道修町がくすりの町と言われる様になったきっかけは、寛永年間(1624~1644)に堺の商人小西吉右衛門が道修町1丁目に薬種屋を開いたこととされています。

やがて、1722(享保7年)、八代将軍徳川吉宗は道修町の薬種中買仲間 124軒を 株仲間として、中国から輸入された唐薬種や日本で採れる和薬種の適正検査をし、値段を付け全国に売り捌く特権を与えました。
明治時代になると、株仲間は解散となり、営業の自由化と共に誰もが組合に加入して自由に商売が出来る ようになりました。
しかし、悪質な流通業者がいて粗悪品を売りつけたりしても罰する規定はありませんでした。

そこで、道修町の薬業者達は、道修町ブランドに対する信用の為、団結して事業を展開していきました。
 積極的に洋薬を取り入れ、自前で品質検査を行う『 大阪薬品試験会社 』を設立し、官立の試験所に優るとも劣らない信用を獲得しました。
また、有力薬業者達により製薬会社を立ち上げたり、洋薬に対応するため開設した『薬舗夜学校 』は、現在の大阪大学薬学部や大阪薬科大学に発展しました。
そこには、少彦名神社の薬の神様に対する信仰をもとにつながり崇敬団体薬祖講 が結成されたことにも深い関係があります。
現在の道修町は、本社機能が東京にシフトしている製薬企業や、合併して社名が変わったりして、『道修町=くすりの町』とすぐにピンとくる人は昔よりは少なくなってしまったかもしれませんが、今でも薬祖講を中心に、神農祭やくすりの道修町資料館 を通じて地域と企業が町ぐるみ一体となった活動を続けています。

TOP